城山公園の多面的な里山を100年後の子供達へ

御蔵ガーデン

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御蔵ガーデンの由来

今庭が有る場所は、室町時代に斯波氏が今の紫波町城山公園に高水寺城を構えていたときに年貢米を保管しておく蔵が有ったことから、もともと御蔵という地名で呼ばれていました。その地名をとって「御蔵ガーデン」と呼んでいます。庭の東側には、奥州街道から高水寺城の天守(城山公園頂上)につながる道の「御蔵坂」が有ります。

御蔵ガーデンの景観

御蔵ガーデンは城山公園の北側の中腹に位置しています。このため、眺望がとてもよく、城山公園の北側180度の景色が見えます。盛岡市、岩手山、奥羽山脈、北上高地が一望できます。

御蔵ガーデンの特徴

御蔵ガーデンは、元々はリンゴ畑だったところが廃園になって荒れていた畑を約30年かけて開墾しながら庭にしたものです。広さ約2000坪、約700種類の植物を植えています。花木、宿根草を中心に小果樹を植えています。花を観て楽しんで、果実を採って食べることもできるので「ファームガーデン」と呼んでいます。

御蔵ガーデン南部藩ゆかりの茶畑

南部藩ゆかりのお茶の木と御蔵ガーデンの茶畑の関係

南部家26代南部信直公が1588年に紫波町の高水寺城を居城としていた斯波氏を滅ぼし、斯波氏の居城は高水寺城から郡山城に改名された。南部信直公は1599年までは、郡山城を居城とすることもありました。

・南部信直公は1591年から盛岡城の築城を開始したが、この時期に大和の国から茶商を招聘し茶畑地区で茶の栽培を命じました。

・茶は産業とするまでには至らなかったが、当時植えられたお茶の木が古澤家の庭園に残っていて樹齢400年のお茶の木は盛岡市の保存指定樹木になっています。

・紫波町城山の御蔵屋敷跡は斯波氏が高水寺城としていたときの年貢米を入れる米蔵であり、南部氏が盛岡城を築城する1599年までの11年間は御蔵屋敷に南部藩の年貢米を収蔵していたと考えられます。

・現在の御蔵ガーデンは高水寺城及び郡山城の御蔵屋敷跡に作られています。

・御蔵ガーデンの茶畑に植栽しているお茶の木は、南部信直公が盛岡の茶畑に植えたお茶の木の末裔で盛岡市の上小路会から譲り受けたものです。

・南部信直公が紫波の郡山城を居城としていたときに大和の国から持ってきて盛岡の茶畑に植えたお茶の木が400年の時を経て南部藩主南部信直公の御蔵屋敷の地に帰ってきたようなものです。

・南部藩主が宿敵の斯波氏を滅ぼし手に入れた斯波御所を郡山城に改め、新たに築城する盛岡城を郡山城から眺めながら、わざわざ大和国から取り寄せたお茶の木で作った茶は格別な味がしたと思われます。

 お茶が収穫できるようになったら、御蔵屋敷跡でとれたお茶を使って江戸千家の野点ができたら楽しいですね。きっと南部藩主南部信直公の戦勝の高揚感が味わえると思います。

植栽2年目のお茶の木
御蔵ガーデンの茶畑に植えた60本のお茶の木

御蔵ガーデンキャンプ場

御蔵ガーデンでは、広場でキャンプもできます。私有地なので直火OKで気兼ねなく好きなことができます。電源もありますので夜の照明や音響も可能です。

御蔵ガーデンで羽化した蝉

羽化前のノコノコ
羽化直後

御蔵ガーデン2020年7月の様子

御蔵ガーデン2020年6月の様子

御蔵ガーデン2019年8月の様子

アジサイの彩り
墨田の花火
アジサイとモントブレチア
涼しげな縞ススキ
真夏でも美しく咲くオイランソウ、花魁の白粉の匂いが語源
庭じゅうに花魁の匂いが漂います

メール okuragarden2000@gmail.com

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